藍色の空間

魂にメスはいらない

気づくためには「時」が必要

最初の記事で「気づき」を得たい、というようなことを書いたけれども、それはいつでも得れるものとは思っていない。

とあるきっかけで、本棚をひっくり返し、昔読んだ河合隼雄先生の本を手に取ったが、以前に読んだ時にはなんとも思わなかったことがグイグイと心に響いた。

それは決して以前より頭が良くなったとかではなく(むしろどんどん退化してるはず)、「時」なのだと思う。

こう書いてしまうととても良いことを自力で得たように思われてしまいそうだが、これも何かの本で読んだことなのだ。

本に限らず音楽でも映画でも、「時」で感じ方が違ってくる経験は良くあることだ。

それは単に趣向が変わったとか、老いたとかだけではなく、「時」が関係していると私は思う。

何事にしても「時」というのが大きく作用するであろうし、肝心なことが多いだろう。

しかしそう言いながらも、私はそう度々「時」を得れるとも思ってはおらず。

意識せずに忍耐強く待つことも肝心と近頃は感じている。

そして諦めない人には必ず「時」がやってくるものと私は信じている。